昭和41年12月05日 夜の御理解



 今日ある方が、お参りしております。そちらが面白いお夢頂いております。それが橋の下に大きな鯰が泳ぎよる。川下の方に金魚のような金魚とも思われる、緋鯉の子とも思われる見たい、金魚やら緋鯉やらといった様な感じでこう泳いでおる。それからその川の砂浜のところに、蟹が赤い蟹が這って歩いておる所を頂いておる。色々頂いてからそれがはっきりそういう風に頂いておる。どういう事やろうかと云う訳なんですねえ。鯰は私は髭がはえとるありゃ威張っとる、慢心しとると云う事じゃろうと思う。
 慢心してはおかげにはならん。それから、成程、あんたんところはおかげ頂いておる。金銭的にもほんとにま、色々おかげ頂きよるけれども、神様の目からご覧になりゃ、ま金魚位なものだ。それが信心しよっても、いわば、商売をしとりますから、やはりあの、商売道には商売道と云う道があって、駆け引きをしたり場合によっては嘘を言うたりもしなければならないけども。その、よこしまな商売道に入っちゃならん。横這いにならにゃならん。ま、そういう様なことを、そのお夢の中から感じるですね。
 ところがその息子さんが言うんです。実は先生、私の方の父が時々申します。一家中挙げて信心してるんですよ。お前や、あんまり正直なやからね、商売にはそげん正直ばっかりじゃいかんち。たまにはその、ま誤魔化しがなければ儲け出はきらんとち言うちから、もう言いますから、ここんところが時々ジレンマに陥ると云事を言うんですね。本当にそうですね。私共が酒屋をしておった時分に、やっぱりあの、入れてはならない水を入れたりね、それをもう当り前のことのように。
 成程それは、それだけの余分に儲ることは儲りました。けれどもね、それは金魚的なおかげであって、大きな緋鯉の様なおかげにならん。目先は確かに儲るごとあるけれどもね。商売をするなら、そこんところを本当にあの信心に基づいた信心させて貰わなきゃいけないと同時に、最近やはりその鯰のような髭が生えとるようなことはなかろうかと。慢心は大怪我の元なりと。先生そうでございます、この頃からその動きがあっとる訳ですね。ある日どんどん事故があっとるです。
 私は何時もその父の信心を見ながら、それを感じるて。父が慢心しよる、慢心しとると言う事。成程、御造営なら御造営の上にでもですたいね、こう、まあ御用に立たれます。けれどもそのよこしまなことして、例えばその泥棒してからと言う訳でもないでしょうけれどもですね、商売道に叶わない道を横這いのような信心でです、おかげを頂いてから、御造営のおかげを頂いたっちゃ、それはまあ云うならば、罪滅ぼし的なものにしかならん。徳にならん。
 そこでそのまあ父親にその事を話すのに、どういう風に話なすなら良かろうか。はあほんとに大概の修行のごたるですねと言うて話した事でしたね。「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝たらんと欲すれば忠ならず」と言うことです。親父の云う通りすりゃ信心にゃならんしと云うて信心になろうと思や、親の言う事は反対しなきゃならんと云う訳です。けどもねそこんところを、一つ信心させて頂いてからおかげ頂かにゃいかん。例えて云うなら私がです、桂先生のお教えの中に、こんな御教えがあるんです。
 「親に不孝をして神に孝行をする。そして後に親孝行しておる氏子がある」又片一方にはね、「親に孝行をして神に不孝をし親に不孝しておる氏子がある」と。平重盛の生き方でいくとですね、確かに親もこうすれば親が立たん、こうすれば、その忠実にならんと云う様なことはない。信心はこれが本当だと云う信心をやっていきゃね、いわば如何にもそれは、親不孝のようにあるけれども、いわば神様へ孝行して行きよると、神様が親孝行させて下さる時が来るんだと。
 私共はどちらの道を取らねばならんかと言うとです。場合によっては、ほんならこれは私の過去を見るが一番です。親達でも兄弟達でも、ほんとに親の言うこと聞かなかった。兄弟達の言うこと聞かなかった。とにかく、神様の仰せには背向かれんと云う生き方でしたから、その時には親には不孝のごたる、周囲の者には心配させよったごとあったけれども。そこんところを頂き抜かせて頂きよったら、神に忠義にもなりゃ、親に孝行にもなると云う様なおかげを頂いておるでしょうが。
 ここんところを一つ頂いていかにゃいけませんなとこう言うたことでしたけれど、ほんなら、お互い信心させて頂きよってですたいね、鯰のような髭が生えるようなことはなかろうか。一遍本気で思うてみなければいけませんよ。その事を一生懸命お詫びさせて頂きよったぎならですね、その鯰がひっくり返ってから白い腹を上に向いた所を頂いた。親のために詫びていけ。親のためのお詫びの信心させて頂け。
 親はあんなに、と言うて、私から見て、本当に横着者とは思いません、私の親は。利口もんでやり手で、ほんとにお役に立たれる方ですから、けど神様の目からご覧になれば、そうなんですから。私共が如何に自己反省を深くしなければならんかと云うことなんです。私共自身の中にです、鯰が住んでおると云うことです。だからそのことをお詫びのしるしに、子供が信心していけと。そしてこれは、こうすりゃ父が気入らんけども。こうすることが信心じゃないと思うたら。
 そこんところをしっかり真の道の信心をさせて頂きゃです、本当に、うちの息子は馬鹿じゃある。馬鹿正直だから、儲け出しは切らんと言うてもです、ちゃんとおかげ頂くようになり。金魚ぐらいな、金魚のお知らせは金銭のお繰合わせのことを頂きますもんね。金銭の徳のことです。こんな小さい目先目先の金銭のお繰合わせを頂くようなこっちゃなくてです、夢にも思わなかったような金銭の徳と云うものが、緋鯉のような徳を受けるようなおかげを頂いたら。
 成程息子の生き方の方が本当だと云うことになるだろうと私申しました。もうその事どうぞおかげ頂き、息子さんは又反対ですもんね。実に純真です。邪気がないです。本当にその嘘でも言いきらんような性分ですから、お父さんは気の小さいもんですから、お前ごたる正直もんじゃ儲け出しは切らん。ちった俺を見習えと云う訳なんですよ。ところが、親父のしておることはどげん考えたっちゃ。
 信心しておる者とは思われない様なことをしよると言うんです。例えば忙しい時なんかは誤魔化してる。そして文句言うなら、そげな事言うならもう買うて貰わんでよかばのと云った様なことを言う。どんどん売れよう時には。ところがそれが、あんた今度どっこい売れんごつなってくると、あんた方の品物にゃ、あげな誤魔化しがあったから、もうと言うてその信用落とす様なことが再三あったとこう云うのです。
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